『長崎街道 久山旧茶屋〜古賀・藤棚』(1)

最近、長崎街道をさるくことに目覚めつつある私ですが、
3/8に久山旧茶屋から古賀の藤棚までを歩いてみました。


久山の宮崎病院前の交差点「新茶屋」。
ついこの間までここは「田結入口」という名の交差点だったと思いますが、
いつの間にか「新茶屋」となっている。


「新茶屋」から西諫早幼稚園の前を通り飯盛方面へ行くと・・・
左手に「久山旧茶屋跡」と書いた石碑と稲荷様があり、
少し先に県営バスの「旧茶屋」バス停があります。

このあたりも松が植樹されている。

「旧茶屋」バス停から右の道に入り、旧茶屋橋と旧茶屋新橋の二つの橋を渡ると
「旧茶屋の井戸」に到着します。

この井戸で坂本竜馬もノドを潤していたかもしれません。
 
井戸の少し先には「大乗妙典66部塔」があります。

これは、修道僧が天下の平安と気候の温順を祈念し、納経をしたしるしの塔です。
これから街道は上りになっていき人気(ひとけ)は少なくなります。
途中「歴史街道環境美化推進」と書いた看板があり、
そこから少しの間、土の道になり「峠の茶屋跡」に到着します。
 
この「峠の茶屋跡」が久山と喜々津の境です。
ここから古賀・藤棚まで残り4km弱。
道はほぼ平坦になり、しばらく歩くと「清水の祠」に着きます。

この「清水の祠」は1818年に白岩左右衛門によってたてられたもので、
どんな干ばつでもここの湧き水は枯れたことがないといいます。
飲み物を持ってきてなかったので、ここの水を飲ませてもらいました。
無味無臭でのどの渇きがとれます。
ここは昔の人たちには貴重な水源であったろうと思います。
また、この辺りから景色が良くなり久山城が見下ろせます。

さらに5分ほど歩くと「御籠立場跡」の石碑と石があり、
井桶ノ尾岳登山道への分岐点もあります。

ここからは遠くに長崎バイパスを見ることができます。
御籠立場跡の横の畑には「テディベアのかかし」が・・・

おもしろいですが、なんか かわいそう・・・
他にも誰かが遊び心で置いたような木片もありました。

御籠立場からは下りになり、大村湾が見えてきます。
このあたりはウメの花がたくさん咲いていたので
ゆっくり見ながら歩きました。

しかし、綺麗な花を見るために上ばかり見るのはいけません。
このあたりは(猪などがでるせいか?)電気柵が多いので
畑には入らないように注意してください。
しばらく下るとガラクタ集積所があり、
そこが「トコロテン茶屋」と「井桶ノ尾観世音」の分岐点になります。
行きは「トコロテン茶屋」への道へ行きました。
この道は多良見ライオンズクラブが20年ほど前に整備した石畳の道です。

天川橋に差し掛かったところで街道が民家にぶつかり、
「行き止まりか?」と思って近くにいたおばちゃんに道を尋ねると、
行き止まりではなく民家の脇を通って行くことがわかりました。
おばちゃんはその民家の住人で、「トコロテン茶屋」について
ガイドさんばりに詳しく説明してくれました。
江戸時代はこのあたりが休憩所になり、名物のトコロテンが売れていたそうです。
下の写真が「トコロテンの石鉢」です。

今はミカンが転がっていますが、昔はあふれるほど水量が豊富だったらしい。
おばちゃんが言うには「長崎大水害ライフラインがストップしたときは、
ここの水を飲んで生き延びた」そうです。
現在、チョロチョロと出ている水は、引いてきたもので、飲むことはできません。
「トコロテンの石鉢」から先へ進むと、高速道路が近くなり


喜々津村と古賀村の領土境「御境石」にでます。
「これより東、佐賀藩領」と書いた石碑や「長崎街道の説明石碑」もあります。

本当はここまでで引き返すつもりだったのですが、
説明石碑を読んでいるときに話しかけてきた登山スタイルのおじいちゃんから
「藤棚では古賀人形のお雛様を見せてくれる」という情報を入手し、
さらに足を伸ばすことにしました。
長くなるので、今日はこのへんまでで・・・続きはまた今度書きます。

☆ 参考までにコースタイムを【ゆっくり歩いています】
旧茶屋バス停(25分)→峠の茶屋跡(15分)→御籠立場(25分)→御境石


※お知らせ
シンポジウム・《歴史街道の継承》
長崎街道シュガーとザボンの旅
日時:平成20年3月30日(日曜) 13:30〜15:00
場所:西諫早公民館(2F大講堂)
基調講演・・・長崎ウエスレヤン大学 学長 森 泰一郎(たいいちろう)
パネルディスカッション・・・夏目孝男先生など6名
問い合わせ 0957-26-4141


報告 DENTA


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