真崎城とシキドンサン

史跡を整備するのは大変なことだと思う。
全国的に有名なものや地域の観光資源になっているものならそれなりの補助金が出ると思うが、
そうでない所は、地元の人々の力でやるしかない。
せっかく貴重な史跡があるのに荒れ果てていると「あ〜あ(−。−;)」と思うし、
逆にたいしたものじゃなくても整備が行き届いていると「おっ!W(゜0 ゜)W」と感心する。
今回紹介する真崎(まさき)城とシキドンサンは小さいながらもきれいに整備されている。
   

真城(しんじょう)小学校から真崎川を渡ると目の前に見える山が「真崎城跡」だ。
   

この真崎川河口をよく見てみると海の生物と川の生物が混じっている。
地形を見ても、城のあった当時は、目の前まで海がせまっていたに違いない。
   
   
真崎城は今から550年ほど前、大村氏の伊賀峰城への対城として西郷尚善が築城しました。
実際に築城を指揮したのは家臣の「志々岐(しじき)四郎左衛門」だと言います。
登り口がよくわからなかったので、通りがかりの人に聞いたら、親切に案内してくれました。
   

登り口の石碑に「志々岐神社改築記念」と書いてあるので、
真崎城跡は志々岐神社上宮でもあるのだろうか?
登山道はしっかり整備されていて歩きやすい。
   

あっという間に頂上へついた。
   

真城小学校からでも10分で着きます。登山という程ではなかったです。
しばらく頂上からの展望をお楽しみください。


エスレヤン大学と西部台方面
   

久山城方面
   

堂崎団地方面
   

御館山展望台と上山展望台が隣り合って見えます。
   

頂上で景色を楽しんだ後、行きがけに気になっていた「シキドンサン」という案内の方へ行って見ました。
案内の先には志々岐神社があり、そこの説明板で初めて「シキドンサン」の意味がわかりました。
   

真崎城を築いた志々岐四郎左衛門は干拓を行うなど善政を施したらしく、
地域の人から「志岐(しき)どんさん」と愛着をもって呼ばれていたようだ。
   

彼の名前は「シロジャー(四郎左衛門)坂」や「しろじゃ橋」として今も残っている。
   
   

志々岐氏はもともと平戸・志々岐神社の大宮司職にあったが、
鎌倉時代以降、武士化した一族もいたのであろう。


ついでに本家・平戸の志々伎神社も紹介します。
野子小中学校前より見た志々伎山
   



かなりとんがっているので急勾配です。
40分で登れますが、アキレス腱に負担がかかります。
   

途中にある中宮
   

頂上(標高347m)の志々伎神社上宮
   

日本最西端の港・宮ノ浦漁港から見た「志自岐神社・沖の宮」
   

長崎県最古の神社といわれる志々伎神社があり、新九州100名山でもある志々伎山。
神話にもとづくおもしろいものが多数ありますが、
紹介していると本題からそれそうなので話をまちづくりに戻します。


私の本籍地でもある平戸市ですが、
県内でいち早く自然体験型グリーンツーリズムをとりいれ。
(社)平戸観光協会は第三種旅行業務の登録をして、
独自のツアーを組むなどの新しい取り組みを行っているようです。
この取り組みが成功するのかどうか気になるところです。
平戸市戦隊ヒラドシマンも秋田の超神ネイガーに負けないようにがんばって欲しい。
(特に「ごぼうもちグリーン」は好きなので活躍して欲しい)



★お知らせ★
☆まち研特派員Sさんの報告です。☆
先日歩いた長崎街道・赤松坂付近から少し先、
アクロスプラザと工業団地からの道が合流する交差点から
飯盛方面へ少し行った「旧茶屋」バス停付近にも松が植樹されていたそうです。



☆『まちなか みち さるく』☆
諫早市中心街周辺を歩いて、まちなかに多くの人たちが集まるような、
美しく楽しく安全な「まち・みちづくり」について感じたこと、思ったことを語り合ってみませんか。
日  時:平成20年3月4日(火) 13:00〜15:30
参加対象:「みちづくり」に関心のある一般市民・団体
集合場所:諫早中央商店街アーケード「ポケットパーク」
歩く地区:諫早公園・市役所・中央商店街周辺
活動内容:ごみなどを拾いながら、道路の様子を見て回り、気づいたことを話し合う。


日  程:説  明 13:00〜13:15
     歩  く 13:15〜14:00
     話し合い 14:15〜15:30(まちづくり生涯学習教室)


備  考:参加費は無料です。
     各自火バサミ、手袋、飲み物を準備してください。
     活動しやすい服装で参加してください。
連絡先:中野 090-4345-8911


以上で★お知らせ★を終わります。


報告 DENTA


☆まちづくり研究室は「長崎ウエスレヤン大学のサテライトキャンパス」です☆