アエル商店街付近の史跡紹介(4)

 諫早市の中心部にあるアエル商店街周辺の史跡を紹介するパート4は高城神社と天佑寺です。
まずは市民体育館そばの高城(たかしろ)神社へGO!

高城神社は明治15年に建てられましたが、諫早大水害で流されてしまったため
昭和32年に現在の地に移りました。
境内には諫早の歴史を物語る石像物などが多く残っています。
その1つが下の写真「若杉霊神表義碑」です。

諫早一揆」の中心人物、若杉春后(しゅんご)の功績をたたえて建立されたものです。
1750年に諫早氏の領地が取り上げられることに反発した若杉春后は、
諫早一揆の首謀者として佐賀で磔(はりつけ)にされ死亡しました。
この人の辞世の句は泣かせられる内容です(T。T)


次は島原鉄道の線路を渡って「諫早市郷土館」の方へ行きます。



郷土館の敷地には面白いものが置いてあります。
上の写真は、天佑寺の鬼瓦と旧諫早役場の鬼瓦です。
昔の役場の鬼瓦もカッコイイですね。
確か島根県の津和野では、こんな鬼瓦の建物をいまだに利用していました。


下の写真は昔の街道の道しるべです。

「左・長崎」「右・富川観音道(大村方面)」と記してあります。

上はお侍さんが殿様に挨拶するときに使った堪忍(かんにん)石だそうです。

諫早市郷土館は入場無料です。


つづいて郷土館側から天佑(てんゆう)寺へ向かいます。
お寺の敷地内に入ると、最初に目についたのが「島原の乱戦没者追悼の碑」

島原の乱で時の諫早領主は2,000の兵を連れて出陣しましたが、
苛烈な戦闘の末、死者92名・負傷者296名という大きな犠牲を払いました。
この碑には戦死した人の名前が刻んであります。

天佑寺山門です。
戦国時代天文年間に、西郷氏の菩提寺として建てられ、
竜造寺氏・諫早氏に菩提寺として受け継がれた寺です。
本家の佐賀にも同じ名前の寺があることを最近知りました。

かなり立派な六地蔵です。
それでは、諫早家の歴代墓所を紹介します。
まずは四代・茂真(しげざね)公夫妻の墓。

夫婦で建ててあるから、よほど仲が良かったのでしょうか!?
 

天佑寺本堂

以上が天佑寺の写真です。
では最後に愛宕山肥前鳥居(一部編集)

愛宕神社へ登ろうと思ったが、
高校時代は元気にかけ上ったこの階段を…
登るパワーは…
歩き疲れた年老いた男には…
もう無かった・・・


※お知らせ
諫早公園周辺散策の帰りはぜひアエル商店街にお立ち寄り下さい。
食事、喫茶、買い物に便利です。

アエルいさはや2階にある庄屋で休憩されてはいかがでしょうか?

お昼時は混雑しているので、少し時間をずらした方がいいかもしれません。



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