『諫早・大村街道 鈴田峠』

長崎街道松並復元委員会が、3/2に旧諫早・大村街道の破籠井ゾーンに
植樹を行うと聞いていたので、前日の3/1に破籠井〜鈴田までを歩いてきました。
破籠井バス停から先にある細い道が鈴田へ向かう道です。

舗装された道からすぐに土の道に変わり、翌日の松植樹のためか
すでに大きな穴が何箇所かあけてあります。

バス停から4分。すぐに大村街道の説明版がありました。

この街道はとてもきれいに整備してあります。

途中、切り通して道を開いたような所も

思ったより緩やかで歩きやすい道です。

手水鉢のような石が・・・昔の人がここで手を洗ったのか?

この他にも、何かのために切った石がある
(おそらく切るのに失敗したのか?)

この後、道はほとんど平坦になり大渡野(おおわたの)番所跡に着きます。

番所とは領民の出国や他領からの入国を取り締まるところです。
大渡野番所から先は竹林の道になり、両脇に溝が再現されています。

20分歩くと、大村藩佐賀藩諫早領の境となった鈴田峠に着きました。
この鈴田峠は現在でも諫早市大村市の境となっています。





鈴田峠の境目にあるこの大きな石は
1.境石、2.硯(すずり)石、3.鬼の足形石、4.弁慶の足跡石
などと呼ばれ推定60cmの穴が開いています。
よその人に紹介するときのためにも名称を統一したいですよね。
皆さんは上の1〜4のうちどれがいいと思いますか?
コメントやまちづくり工房にてお知らせください。
その境石から大村側はすでに松が植樹してありました。

ここから先はずっと下りです。
「旧長崎街道」の標柱は、諫早の石標から大村市の標柱に変わります。

やがて土の道が終わり、舗装された道になります。
ここまでは人工的なものが視界に入らず、
江戸時代にタイムスリップしたかのようでした。
ここからは風情は少なくなりますが、大村の町が見えて景色は良くなります。

さらに下ると、キリシタン大名大村純忠の家臣として活躍した
「渡辺伝弥久の墓」がありました。

民家が近づいてくると、さらに景色が広がり
五家原岳やレインボー道路・国道・高速道路・大村湾といったパノラマが味わえます。

人里に入り下り続けると大神宮に着きます。

この付近は、休憩所があった場所で、往来の人々が足を休めました。
現在、大神宮が建っている場所には江戸時代・古松権現という神社があり、
藩主大村純信に再興された神社です。
明治になり、他の神社とあわせて大神宮となりました。
水量が豊富なことからも休憩所があったことがうなずけます。

大神宮からは高速道路が目前です。

JRの線路をくぐって鈴田方面へ


古松公民館

大村は「松」の付く地名が多い気がしますね。
岩松・松並・竹松・松原など・・・
鈴田小学校近くに鈴田一里塚跡と書いてある石碑がありました。

田んぼから大きな鈴が出てきたことからこの辺を「鈴田」と
昔から言いますが、鈴田町という地名は無いんですね。


大村・諫早街道「鈴田峠」はとても歩きやすく楽しい道でした。
思ったほどきつくなくて気持ちがイイ!
歴史の道100選に選ばれただけのことはあります。
しかし、逆に大村側から行くと上りが多くなり疲れるかもしれません。
次回は風観岳(ふうかんだけ)経由で歩いてみたいです。
鈴田峠は人気(ひとけ)がないので女性は2人以上で歩いてください。


☆ 参考までにコースタイムを《走行8700歩》
破籠井バス停----(25分)→大渡野番所----(20分)→境石(藩境)----

        • (30分)→渡辺伝弥久の墓----(22分)→大神宮----(10分)→鈴田一里塚

※歩数は携帯電話の万歩計機能のため正確な数字かはわかりません。


報告 DENTA
3/2の松並木植樹の様子が知りたい方はコチラ→http://www.1388.jp/topics/0803/kaidou/top.html

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