『長崎街道 久山旧茶屋〜古賀・藤棚』(2)

前回、久山旧茶屋から喜々津・古賀の御境石までを紹介したので、
その続きの古賀・藤棚までを紹介いたします。
古賀は今でこそ長崎市ですが、矢上まで諫早領だった時期もあり、
昭和37年まで東長崎町(矢上・戸石・古賀)でした。

喜々津・古賀境の本当の長崎街道は上の写真の道です。
道が民家を通るため、今は御境石脇の舗装された道を少し使っています。

境石から古賀方面へ向かうとグングン高速道路が近づいてきます。
植木の栽培をしている場所も多く、
「さすが植木の街・古賀」という雰囲気になってきます。

植木の手入れをしやすくするためか、石垣に石段がついています。

意味ありげにたたずむ石

この石まで来れば、藤棚まであと500mになります。
ここで現地説明版「古賀の藤棚」の紹介文です。
『長崎から16.3km、諫早から13.6kmの距離で、
 郷土人形として有名な古賀人形の小川家は中里町のこの地にあり、
家の前には大きな藤棚がある。
昔は、長崎街道を通る諸大名や旅人たちの休憩所となった茶屋である』
 
今から400年ほど前、藤棚のある小川家の祖先が
農業のかたわら土器と共に人形を作ったのが始まりといわれています。
現在、この人形の素朴さが、ことのほか愛用されるようになりました。
小川家の方に古賀人形を見せてもらいました。
 
 
私は「薩摩藩お抱え力士?人形」が気に入りました。

このブロムホフ夫人のモデルになった女性の子孫が、
外国から遠路はるばる、小川さん宅まで会いに来たこともあるそうです。
小川家には懐かしいようでどこか新しい囲炉裏もありました。

お雛様を見学させてもらった後は、
小川家の庭から見えた、昔話にでてきそうな家を訪ねました。

これが小川さんも小さい頃、遊びに訪れていたという「本田家住宅」。
今から250年以上前に建てられたといわれる県下でも最古クラスの家です。
「おおがま」や「はんどがめ」などがありノスタルジック。

かやぶきの家なので維持も大変でしょうね。

だいぶ遠くまで歩いてきましたが、ここで帰路につきます。
中里上郷からは井桶ノ尾岳がよく見えます。

帰りは行きと違う道を通りたいと思い、一本脇の道へ…

「高速道路の下を貫通している土管」や「山神様の祠」がありました。

この「山神様の祠」は高速道路建設のために、移設されたと思われます。
 
植木は石をぶら下げてバランスを整えるんですね。

高速の真下をくぐり、喜々津村に戻り、「なすび塚」へ。

行きは「トコロテン茶屋」を通ったので、帰りは「井桶ノ尾観世音」へ。
 
島原の乱の際、神社仏閣の破壊活動から守るため、
もともと原城にあった聖観音像をここまで持ってきたそうです。
お賽銭箱は木の箱だったのが、盗難にあったため頑丈なものに変わりました。

井桶ノ尾観世音道から見たトコロテン茶屋への石畳

今回、藤棚までをさるいてみました。鈴田峠の風情も良かったですが、
この井桶ノ尾ゾーンも様々なものを見ることができ、おもしろかったです。
チンチョウゲ。

ミカンを枝から落として食べる、器用なカラス。


☆ 参考までにコースタイムを【ゆっくり歩いています】
喜々津・古賀境(30分)→藤棚・本田家住宅(35分)→井桶ノ尾観世音→
(40分)→久山旧茶屋跡
久山旧茶屋〜藤棚間往復の総歩数11,000歩


※お知らせ※
シンポジウム・《歴史街道の継承》
長崎街道シュガーとザボンの旅
日時:平成20年3月30日(日曜) 13:30〜15:00
場所:西諫早公民館(2F大講堂)
基調講演・・・長崎ウエスレヤン大学 学長 森 泰一郎(たいいちろう)
パネルディスカッション・・・夏目孝男先生など6名
問い合わせ 0957-26-4141


報告 DENTA
長崎ウエスレヤン大学・まちづくり工房★